幸福王国という枕詞が付くことが多い東南アジアの一国、ブータン。その幸せの仕組みは資本主義と距離を置くことにある。しかしそのブータンにも今や資本主義が入ってきて変化しつつあるという。

私は昔からブータンに興味があり、一度は訪れてみたいと思っている。そこで今のブータンを知る前に、ひとまず昔の、幸せ王国として揺るぎないアイデンティティを持っていた時のブータンを知ろうじゃないか。ということでこの本を手に取った。この本が書かれたのは10年前。まだスマホもアマゾンもそこまで浸透していない時代。IT化の波に飲み込まれる直前としてはちょうどいい時期だ。

 

わかったことを箇条書きにする。

・GDP(国内総生産)ではなく、GNH(国民総幸福)を国の基準としている
・資本主義はあえて取り入れていない
・ゆっくり発展することを目標としている
・英語に力を入れている
・環境破壊につながるので地下資源を開発しない
・助け合いの精神を大切にしている

通して伝わってくるのは、「国が発展していないのは遅れているわけではなく、自ら近代化をコントロールしているから」という国の方針だ。

この箇条書きだけを見ていると、独自路線で国民の幸せを獲得した、アメリカとは違う形の成功国のように思える。書いてあることがどこまで本当かはわからない。この本では「国としてこれを挙げているのはわかったけど、じゃあ実際どうなの?」という話までは踏み込んでいない。しかし、とりあえずブータンという国の表向きの自己紹介はわかった。今はこれで十分だ。

 

私がブータンに行きたい理由。それは「人の幸せは結局お金なのか?」に対するヒントがこの国の在り方にあると思うからだ。

この問いに自分の中で折り合いをつけるためには、やはりお金以外の幸せを得ているところにいって自分の目で確かめるしか方法はない。定職に就いている人間が自殺をする日本の中でこれをいくら考えてもしょうがない気がする。そこでブータンだ。

幸せ王国として鳴らしているブータンだが、昔はそんなに注目されていなかったように思う。多分注目する必要がなかったのだろう。誰も資本主義に疑いをもっていなかったのだから。会社のために身を粉にして働き、競争こそが健全で、大きな家といい車と大型テレビを買うことが人の幸せだと信じて疑わなかった。

それが、資本主義がさらに加速することで、以前より何百倍もの効率で仕事ができるようになったにも関わらず、仕事の量は何百分の1になるどころか残業の量が増えた。国が発展するほど自殺する人が増えていった。「なんかこの社会っておかしくない?」と感じるようになった。ブータンが改めて注目され始めたのは「幸せってお金をいっぱい手に入れることだっけ?」と疑問を持つようになった人が増えた証のように思う。

 

意外だったのは英語教育に力を入れているというところだ。

国民を幸せにするための有効な手段の一つに、”情報を奪う”がある。外の世界を知らなければ、自分たちの貧しさに気が付くことはない。自分の視界に入る人たちがみんな同じような暮らしをしていれば、格差は生まれない。平等とは誰もが等しく貧しいことでも実現する。インターネットが普及していないことと、幸福率が高いのは無関係ではない。故にブータンにとっては”知る”という行為は国を崩す可能性を秘めた劇薬である。

それなのに何故英語教育などするのだろうか?英語とはすなわち、外の国の価値観を知り、国を飛び出して世界で競争するためのツール。ブータンには必要のないはずだ。

私はそこから「たとえ若者がブータンを飛び出して世界を知ったとしても、必ず最後はブータンに戻ってきてくれる」という彼らの強い自信を感じ取った。「人は競争社会にて生きるべきではない。今の社会は間違っている。人は人と自然に囲まれて生きるべきだ。」という強い信念だ。私たちはアメリカのはるか後ろを歩いているのではない、前を歩いているのだ、と。

一昔前なら負け犬の遠吠えと一笑に付していたかもしれないが、今この思想をくだらないと切り捨てられる人がどれだけいるだろうか。

 

この本を読んでやっぱりブータンに行きたいと思った。ブータンに赴いて、人と混じり、鍬を振るって汗をかき、共に素朴な飯を食って、同じ景色を見たい。心配なのはコロナ収束の前にIT化が広まってしまうことだ。私が行くまでは近代化を食い止めてくれるといいのだけど。